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つれづれなるままに引き出しを開けると、自分でも忘れていたものを思い出したり… ぴったりの処方箋が見つかったり…
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イタリア旅行記(1)

本当に久しぶりにイタリアを訪れました。
今回は初めてドバイ経由でエミレーツ航空を利用しました。長い長いフライトです。どうやってこの時間を過ごそうかと心配していましたが、さすが最新型機、エンタメが非常に充実していたので、乗る前までの憂いはどこへやら、座った途端、もう見る映画をチョイスすることに必死になっていました。結構最新の映画が見れるので、ここぞとばかり見まくっていたら、目がすごく疲れました。
離陸から3~4時間経過して、ふと窓の外をみると、遥か下がキラキラと光って見えます。どこだろう?と思ってフライトインフォメーションを見てみると、北京でした。
知らないうちにヒマラヤ、インドを過ぎて、足の痺れが限界に達した頃、ようやくドバイ空港に到着しました。
ドバイ空港は本当に大きくて、広いです。今や24時間のハブ空港として機能し、あらゆる国の人がここを通過してゆきます。免税店も、カフェやレストランも、お店も充実しており、トランジットの待ち時間も苦になりません。アラブ系やインド系の人が多いです。民族衣装を見るのも楽しいし、お店のグッズや食品もアラブの香り・・・異国情緒がいやでも高まります。

ドバイ空港の窓ガラスはイスラム模様が入っています

ヨーロッパ方面への乗り継ぎはシャトルバスに乗り、かなり離れたサテライトまで移動です。空港はまだ拡張中のようで、あちこちで工事していました。久々にタラップから乗り込みます。早朝ですが、外の気温は26度くらい、冬の格好をしているので日差しが暑くて仕方ありません。それに空気が埃っぽいような。やはり砂漠の国ですね。ドバイはまた別の機会に訪れてみたいと思いました。
しばらくするとユーフラテス河の上空を通りました。世界四大文明の発祥地の一つがこの辺りだと思うと、果てしなく続く決して豊かとは言えないような荒涼とした大地には妙な感慨を禁じえませんでした。

ドバイから6時間あまり、ようやくミラノに到着しました。現地時間はお昼です。バスに乗ってミラノ中心部へ向かいます。高速道路周辺の景色はのどかなものですが、一つだけ気になったことが・・・道路脇には松の木がよく植えられているのですが、その枝に白いフワフワしたものがついています。鳥の巣のような大きさ、形です。これは、「松行列毛虫」の巣(コクーン)ではありませんか!よく見ると、松の大半が立ち枯れています。これは大変な毛虫の害です。イタリアだけでなく、ヨーロッパで数年前にこの毛虫が大発生したとTVでやっていました。このままでは松が全部枯れてしまいます・・・!イタリア政府は気がついていないのでしょうか。何か対策はとられていないのでしょうか。それからは松や林や植え込みが気になって気になって、ずっと毛虫の巣ばかり探していました。
重厚な建物が多くなってきました。いつの間にかミラノ市中心部に入ったようです。トラムが走っています。トラムには新しい型と、レトロな型のものがあって、なかなか雰囲気があります。地下鉄もあるので、交通は便利そうです。イタリアは車社会ですが、ほとんどの車は軽自動車くらいの大きさです。ルノー、フィアット、オペル、いろいろなブランドのものを見ましたが、日本車を見かけることは少なかったです。
スカラ座からギャレリアを歩いて抜けて、ドゥオーモへたどり着きます。

ギャレリアはガラス張りの天井から差し込む自然光が明るく、芸術的なアーケードで、一流ブランド店や高級カフェ(一部はぼったくりとの噂もw)が連なっています。地元の商店街のアーケードとはえらい違いです。床のモザイクが高級感を一層そそります。以前真ん中あたりにマクドナルドが入っていましたが、ここの雰囲気にそぐわないということか、少し離れたところに退去させられたようでした。
ゴシック形式の見事なドゥオーモはものすごい迫力です。ミラノの象徴です。しかし、前の広場でポカンと見とれているのは少々危険です。ここは物売りが非常に多い場所。以前はジプシーも多かったのですが、今は黒人二人組みがミサンガを手に一瞬で巻きつけてきて、バカ高い料金を請求したり、おじさんがハトの餌の屑とうもろこしを手に握らせて、ハイ、5ユーロ!とか言って来るのが流行ってるそうです。そんなことを聞いたので、必要以上にビクビクしながら、早足で聖堂の中に入ります。聖堂へ入る時も最近はセキュリティチェックが厳しくなっており、バッグの中身を見せなければなりません。あまり大人数のグループは嫌がられます。また、中で写真を撮りたければ、入ってすぐのカウンターで2ユーロ支払って手にピンクのタグを巻いてもらいます。タグがなければ、写真は禁止です。(見回ってる係員がいます)

聖堂後面の見事なステンドグラス  テニスコートくらいの大きさがあります

聖堂の中には彫刻、お墓、祭壇、ステンドグラスなど、見所は一杯ありますが、私は何と言ってもずらりと並んだ懺悔室(それも木彫りの彫刻が素晴しく、暗い緋色のビロードが懸かっている)に妄想を掻き立てられました。聖堂の中というのは、独特の匂いがします。蝋燭と、クセのある洋風のお香と、それから古い衣服や書物から漂うような、埃っぽい黴のような匂いが混ざった匂いです。何百年も前からおそらく同じ匂いがしていたのだろうと思います。
ひんやりとした聖堂を出て、ぐるりと裏へ回り、後ろからのドゥオーモを堪能したら、隣に立っている百貨店(リナシェンテ)へ立ち寄ります。これはお決まりのコースです。なぜなら・・・この辺りはお手洗いがなく、カフェかバールへ入るか、この百貨店へ行くかという選択にせまられるからです(毎度のこと)。しかし、この百貨店の7階にあるカフェの窓からは隣のドゥオーモの尖塔と屋根、聖人の彫刻が間近に見ることができるのです。ちょっとした穴場でもあり、休息するには丁度いいかもしれません。休息の後は、イタリアン・モード(服売り場)を観察しながら、エスカレーターで降りてきます。
ミラノでもう一つ感じたことは、少し年配の男性がとにかくお洒落で格好いい!どちらかと言えば濃い色のコートやジャケットをキチンと着込んだコンサバな格好です。ヒゲはあったり、なかったり。私にはもう誰もがジョージ・クルーニーに見えました。これがミラノモード!いや、チョイ悪オヤジ?雑誌「LEON」から抜け出たような、道行く男性をウオッチするだけでも十分刺激的な楽しみであります。
ミラノで必ずと言っていいほど立ち寄る(一度は見る)「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デ・レ・グラツィエ教会へは今回は行きませんでした。今はこの教会への入場も予約制になっており、入場制限があるらしいです。
ミラノの夜はキラキラと綺麗で、お洒落ですが、決して安っぽい感じではありません。お上品で、静かな、大人っぽい感じです。歩き回った身体には温かいミネストローネが染み渡りました。とにかく飛行機ではあまり寝ていなかったので、ホテルに着くともうバタンキュー(死語)でした。








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壇ノ浦

某大河ドラマ「平清盛」が終わりました。視聴率、視聴率、と散々責められ続けていたようですが、私はそこまで悪くはなかったと感じました。ただ、平清盛の生涯に焦点を絞りたかったのか、大好きな「平家物語」のここぞというエピソードが少なかったことと、平家に相対するものとしての源氏が中途半端に描かれてしまったことが物足りなさを感じた原因でしょうか。
私にとっての平家物語は吉川英治の「新平家物語」と言っても過言ではありません。高校生の頃、伯父が出張の際に新幹線の中で読んだから、と言って読み終えた「新平家物語」の文庫本をくれました。ちょうど古文の授業でも「祇園精舎」を暗誦させられたりしていたので、何の気なく読み始めたのですが、少し読んだだけで、もうすっかりハマってしまいました。登場人物一人一人が非常に魅力的に描かれています。悪人ですら魅力的です。文章には勢いがあり、リズムが良くて読みやすく、スッと入ってきます。一つ一つのエピソードがまるでドラマを見ているように具体的に想像できます。それでいて物語の底には一貫して「もののあはれ」「諸行無常」が流れており、とても格調高く、情緒的です。文庫本で全16巻ですので、かなりのボリュームですが、途中飽きることもなく、ほぼ一気に読み終えたような気がします。何度泣かされたことか・・・歴史小説でこれほど涙をしぼることになるとは思いませんでした。さすが日本を代表する大衆作家です。
学校の日本史でさらっと習う平安末期から鎌倉への時代が一気に身近なものに感じられ、この本のおかげで歴史が好きになりました。この本で読んだエピソードとおぼろげな記憶に残っている幼い頃読んだ(見た)子供向けの平家物語の美しい挿絵があいまって、私の頭の中ではいくつかの名場面集が出来上がっています。いつかこれらを映像化できたらいいな~なんて夢を描いています。

幸運なことに、下関市在住の友人がおり、何度か遊びに行かせてもらったことがあります。その時まず連れて行ってもらったのが、壇ノ浦でした。はじめて下関側から眺めた時の高揚した気持ち・・・時代は一気に800年前です。その昔まさにここで平家は滅亡したのです。お昼を過ぎて潮の流れが逆に変わり、平家方の船がちりぢりになってゆく・・・赤い旗が水面に無数に漂ってゆく・・・静かな関門海峡が目の前に広がる小高い展望台に立ちつくしながら、壇ノ浦の合戦の描写を思い出していました。
関門海峡といえば、幕末の長州藩の砲台も再現されており、こちらも非常に興味深いです。幕末に関する場所も付近に沢山あり、歴史好きにはたまりません。なかでもお気に入りは高杉晋作が騎兵隊を旗揚げした功山寺です。山門が渋く、趣があり、初夏の頃もみじの若葉とのコントラストがとてもきれいです。
この壇ノ浦、春の大潮の時には驚くほど潮が引き、ずっと沖のほうまでなんと若布(ワカメ)が黒々と茂っているのが見えるそうです。大型船も通る海峡なのに、そんなになるのですね。地元の人たちは若布を刈りに海へ入るそうで、関門海峡の門司側の山の上には「和布刈(めかり)神社」なるお社があるそうです。これはこれでまた面白そうです。諸星の世界ともほんの少しリンクするような・・・

そんな壇ノ浦はいつかまた訪れてみたい場所の一つです。今度はぜひ春の大潮の時に。


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