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つれづれなるままに引き出しを開けると、自分でも忘れていたものを思い出したり… ぴったりの処方箋が見つかったり…
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長野 剛

去年の12月、もう年の瀬も押し迫った頃に、岐阜県関ヶ原市でイラスト展が開催されました。私の大好きなイラストレーター、長野剛氏の原画展です。
3日間だけの開催で、そのうち2日はなんとご本人が来場され、ライブペインティングをされることを知って、いてもたってもいられなくなり、思い切って出かけてきました。
関ヶ原にはずっと行ってみたいと願い続けていたのですが、こんな形で初めて訪れることになるとは思っていませんでした。
ずっと寒い日が続いており、その日もお天気が悪く、今にも雨が降り出しそうでした。どんよりと灰色をした琵琶湖を左手に、その向こうにはうっすらと雪を被った比叡山が眺められ、守山、草津を過ぎた頃にはいつしか電車の中の人もまばらになりました。米原で大垣行きに乗り換え、伊吹山がずいぶん近くに見えるなと思ったら、まもなく関ヶ原です。降りる人もまばらなこの駅で、駅を出たらその人影もあっという間に見えなくなり、前日確かめた地図ではたしか駅を出て真っ直ぐ、道なりに行けばよかったはずだと思ってとにかく歩き出しました。霙混じりの雪が次第に強くなり、心細さもひとしおです。道沿いに行けどもそれらしい建物も見えず、お店などもほとんど閉まっており、唯一ほっとしたのが、この秋に行われた関ヶ原祭りのポスターがお店の入り口に貼ってあるのを見かけた時でした。それにしてもどうも様子がおかしい。それでようやくたどりついたガソリンスタンドで道を尋ねると、会場であるホールはなんと駅の正反対の方角ではありませんか。もうちょっとちゃんと調べておくべきだったと後悔しながら今来た道を引き返し、駅を通り越して、山側(北側)に向かって歩き、会場に辿り着いた頃には体はすっかり冷え切っていました。

ホール内は暖かく、上着を脱いで階段を上がり、二階へ。入口で早速枚数限定の関ヶ原の戦いのポストカードをいただきました!ずらりと原画が並んでいます。大好きなイラストの原画です。もちろんイラスト集はいつも眺めていますが、原画がこれほど一堂に揃って並んでいるのは本当に壮観です。駆けだしたい気持ちを押さえつつ、端から順々に見て行きました。思ったよりも大きなものもあり、間近で見ると、その繊細なタッチと迫力に圧倒されます。驚くほど写実的で正確なデッサン、塗り重ねられた色の厚み、のびやかで力強い線、本当に美しいイラストです。男性はみな力強く、渋く、ハッとするほど男前で、女性はみな圧倒的に艶やかで美しいのです。長野氏の歴史人物のイラストは、随分前から私の頭の中の歴史人物像に多大な影響を与えてしまいましたw
一人感動しながら原画に見入ってると、何やら奥の方に人だかりができており、ため息まじりの賞賛の声が聞こえてきました。長野氏ご本人です!本人によるライブペイントが始まっていました。大勢の人が見守る中、氏は淡々と、黙々と筆を進めていらっしゃいました。ちょうど馬に乗って槍を構えている武将の顔を塗っておられるところでした。周りには沢山の種類の画筆と油絵具の類が置かれていました。筆は100本近くあるようでした。そして何より私が驚いたのはキャンバスの周りに所狭しと貼り付けられた資料の数々でした。それは雑誌の切り抜きのようなもの、映画のスチール写真のようなもの、図鑑のコピーのようなもので、人間の顔、衣装、甲冑、武器などの数種類の資料と馬や馬具の資料、画像もありました。それらを見つつ、キャンバスに描き込んでゆくのです。氏の手元は横の大きなモニターに映し出されていました。私はその前に陣取って食い入るように見せてもらっていました。ものすごく細かい仕事です。武将の顔の目元の皺、口元の歯の影一つ一つを膨大な資料を見ながら、少しづつ少しづつ筆が重ねられていきます。氏のイラストは油絵です。デジタル処理やCG加工はないので、全て手で描き込まれたものです。
氏は大勢の人の中、大変集中して描かれていました。一筆一筆はほんのわずかですが、気がつくと、いつの間にか武将の顔にはいきいきと表情が加わり、光と影が加わり、命が吹き込まれていくようでした。こんな素晴らしい作業を実際リアルタイムで間近に見ることができて、本当に夢のように楽しくワクワクした、あっというの幸せなひと時でした。
休憩の時に氏は気さくに周囲の人とお話され、質問などにも答えておられました。私も本当はいろいろお聞きしたかったのですが・・・手を上げて質問する勇気がありませんでした。ちょっぴり後悔しています。今度もし機会があれば、絶対いろいろお話するんだ・・・
もともと大好きだったイラストレーターの方ですが、今回お会いして、仕事を見せていただいて、素晴らしい原画を堪能することができて、ますますファンになりました!このような機会を与えて下さった関ヶ原市にもとても感謝しています。
長野剛さん、これからも素敵なイラストで私達に夢を与えて下さいね。ますますのご活躍を期待しています・・・!


日本の武将も素敵ですが、中国の武将のイラストも素晴らしいの一言です

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漂流教室(楳図かずお)

今年の夏は特に暑く、ずっとカンカン照りの日が続いて、最高気温や最少降水量の記録を更新していましたが、久しぶりに強い雨が降り、台風の影響もあってか夏の嵐を実感しました。
夏は嵐と共に過ぎ去ってゆきます。遠い雷鳴が響いています。いつの間にか蝉の声が聞こえなくなりました・・・この季節は私が一年で最も好きな季節です。夏が好きだからかもしれませんが、特に季節の移り変わりをはっきり感じて、物淋しくなってしまうこの時期です。こうしてひと夏の思い出はあっという間に遠ざかり、まるで透明なガラス瓶の中に封印されてしまうようです。
子供の頃、夏休みというものには特別な響きと輝きがありました。一学期の終業式の日、地区別の児童会があって、そこでなぜか地区毎に夏の目標やら、活動やらを取り決めました。「朝の涼しいうちに勉強しよう」というスローガンが定番でした。ラジオ体操の場所や係を決めました。もう今ではラジオ体操もやらなくなってしまったのでしょうか。感想文や日記、ドリルや自由研究に悩まされた1カ月半ですが、子供は夏休みに成長するといっても過言ではありません。それほどいろいろな思い出が増えてゆく、いろんなことを経験する特別な期間でした。

なぜこんなことを思い出したのかというと、楳図かずおの「漂流教室」を久々に読み返したからです。これは夏休みの話ではありませんが、なぜか「夏休み」とオーバーラップするものがある気がしてなりません。ただしこの夏休みには終わりがなく、その先もどうなるのか全く見当もつかない、永遠の試練の日々が待ち構えているだけですが・・・。その点ではまだ「十五少年漂流記」のほうが、はるかにやさしいです。救いがあります。
「漂流教室」の面白さは、よく言われるように極限状態に置かれた人間の心理と行動、社会の理想と現実、なのですが、これが小学生に限られたことで、一層露骨になります。子供ゆえの幼さ、純粋さ、無知、経験のなさが恐ろしいほど原始的で本能的な行動をとらせるのです。その行動は大人顔負けというより、むしろ大人よりもはるかに残酷で、わかりやすいものです。最初は大人(先生)も出てきますが、大人は計算高く、ずるくて弱くて自分勝手です。結局自滅してゆきます。(関谷を除いて) 一人残った関谷がまた怖い・・・w大人の汚さの象徴です。しかしそれを上回るのが子供達の「生きる」ための本能です。
子供向けの漫画とは思えないほど子供達が次々と死んでゆきます。グロテスクな描写や、コードにひっ掛かりそうな問題描写もあります。(私はあの怪虫と人類の生き残りが変化した姿が結構なトラウマになっていますw)そしてお母さんのあのエキセントリックさ・・・わが子の為に狂人のようになる母親は周囲から理解されず、恐れられ、蔑まれます。それでもそんなことは意にも介さずただただわが子の為に必死な姿は始め可笑しく、だんだん怖くなり、そして最後には同情すらしてしまいます。
パニックに陥った子供達の昂りはもうとどまることを知りません。誰も頼ることはできないと悟った時から、子供達はもう弱者ではなくなるのです。自分の生命と安全の確保のためには他人をも犠牲にしようとしますが、一方で、他人(仲間)のために自分を犠牲にしようとするその純粋な精神・・・子供の心理と行動について、作者の楳図かずお氏は大変深い洞察も持っているのだと感心します。氏は「まことちゃん」においても子供のもつ奇妙さ、純粋さ、恐さ、可笑しさといったものを十二分に描き出しています。私は子供の頃から、(自分も含めて)子供というのは大人が考えているほど幼くはなく、十分いろんなことを認識し、感じられる、ある意味怖い存在なのだと考えていました。作者もきっと同じように感じておられるのだと思って、ちょっと安心しました。そうしたら、私の友人がこう言いました。「楳図かずお氏はきっと子供の心のまま大人になったんだよ。」・・・言い得て妙だと思いました。
漂流教室のラストは示唆に富んでいます。疑問や問題を残したまま終わってしまいます。そして私達に永遠に晴れない心の霧を置いて行くのです。氏のお得意の怪談とはまた違う、とても怖いお話です。でもなぜか夏になると思いだして読みたくなってしまいます。
この漂流教室をもっとグローバル(地球規模)に広げて、未来へと発展させたのが、「14歳」という作品です。描く作者のテンションも一層高く、荒ぶっているように感じます。機会があれば、「14歳」と合わせて読むと、作者の意図や訴えたいことがもっとはっきりとあぶりだされてくるような気がします。
楳図かずお氏、今年喜寿だそうです。おめでとうございます。今なお精力的な活動をされていることが一ファンとして本当に嬉しいです。
   トラウマ画像はやめておきます・・・

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池上遼一

某巨大掲示板に「池上遼一を語るンだよ!」というスレッドがあって、噴きたしたことがありました。しかし、この見憶えのある言い回し、会話に頻出する「ン」は実際は池上遼一ではなく、原作者として何度もタッグを組んだ小池一夫氏の台詞なのですね。
池上遼一氏はあの水木しげる氏のアシスタントをされていたことでも有名です。(「ゲゲゲの女房」にもちゃんと登場されていました)

野球漫画に夢中になっている頃、本屋さんで立ち読みばかりしているうちにだんだん劇画ものが好きになっていきました。一番初めはながやす巧の「愛と誠」、この、少女漫画の学園モノとは一味違う、パンチの利いた(利きすぎ?)内容と絵柄に強く惹かれました。決して表には出ない、すさんだ裏社会としての学園、当時大流行りだった不良の世界と、ロミオとジュリエットばりの純愛という一見相容れないものの融合。これはとても衝撃的でした。新たな世界の幕開けです。
そしてその後知った池上遼一の「男組」(原作:雁屋哲)の世界にどっぷりハマり込んでしまうのに時間はかかりませんでした。「不良学園モノ」とも一口に言えないこの作品の内容は、アクション、任侠、政治、陰謀、男臭さの極致です。これが少年サンデーで掲載されていとは驚きです。「男とは」「信義とは」「理想の社会とは」といった今ではちょっと恥ずかしいようなテーマを何のケレン味もなく、ぶつけてきます。そして何より作者の見事な筆致、絵柄が大好きになりました。この作品もコミックスにして25巻と長く、絵柄も徐々に変遷してゆきます。最初の頃の大胆で力強い線がだんだん精巧でシャープな感じになってゆきますが、とにかくそのデッサンとリアル感、躍動感が素晴らしく、こんな絵が描きたい、と必死に模写を繰り返していました。主人公の流全次郎はもちろん大好きでしたが、敵役である神竜剛次もまたこれがカッコ良く、決して嫌いにはなれませんでした。(こんな高校生いるの?w)内容にも感化され、社会を憂いて見たり、男の生き様にあこがれたり・・・(笑)思えばこの頃が私の中二病絶頂期だったかもしれません。
それからというもの、とにかく池上遼一の漫画を読み漁りました。青年誌が多いので、ちょっと勇気が要りましたが…最初は「I・餓男ボーイ」だったか、「傷追い人」その後「スパイダーマン」「赤い鳩」「オファード」「フリーマン」・・・衝撃に次ぐ衝撃、まさに大人の階段一気に駆け上りですw とにかく登場人物が脱ぐ、脱ぐ・・・しかもその肉体はギリシャ彫刻よろしく素晴しく美しいのです。まさに芸術です。「サンクチュアリ」(原作:小池一夫)「信長」(原作:工藤かずや)に至って私の中では池上遼一はもう確固たる、不動の位置を占めました。もちろん雁屋哲、武論尊(史村翔)、小池一夫各氏らの原作は非常に秀逸、でもこれらの原作をここまでの世界で見事に描き上げられる池上遼一氏には本当に驚きと賞讃、尊敬しかありません。本当に大好きな漫画(劇画)家であります。

   
「クソッ、イイ男には特徴がないからな…」とはフリーマン(左)で主人公を追う刑事の言葉。氏の描く主人公の男達は男前すぎます。




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水島新司

水島漫画は私にとって特別なものです。
数あるお気に入りの漫画群の中で、特別な位置を占めています。中でも「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」はその名前を聞いた瞬間に、懐かしさと共に今となっては完全に黒歴史と化した私の過去の記憶、青春時代を呼び戻してくれるのです。
私の二次創作の歴史は「ドカベン」から始まりました。あれほど一つの漫画を読みこんだのは初めてでした。野球のルールや用語も全てこの漫画で覚えて、詳しくなりました。お気に入りのキャラやコマを毎日のように模写して見なくても描けるようになり(特にあの絵柄を再現することに熱意を注いでました)、ストーリーを覚え、セリフを覚え、そうしてそれらで遊ぶ、つまり二次創作というものに目覚めたのです!
初めて同人誌を購入し、自分も参加するようになったのも「ドカベン」からです。当時この漫画の同人があったのも今思えば驚きですが…それも一つや二つではなく、レベルもかなりのものでした。ただその頃は現在のようにネットサイトもなく、同人活動も内容も全くわからないまま手紙と郵便小為替を送るとオフセット印刷の同人誌が郵送されてきて、自分もまた原稿を郵送する、という非常にアナログで悠長なやり取りでしたが、家に郵送されてくるのが楽しみで、毎日ワクワク郵便受けを覗きに行ったものでした。周りに熱く語れなくても、周りに理解者がいなくても、ここ(同人)では日本全国の見ず知らずの人と繋がり、同じ思いを語り、ネタに爆笑することができる・・・なんという素晴らしいことでしょう。私の人生で新しい扉が開かれた瞬間でした。
一つの漫画を元に、いろいろなネタが次々と浮かんで、技術もないのになんとかそれを具体化しようと必死でした。CMやドラマのパロ、歌や曲とあわせたイメージイラスト、変なギャグや4コマ漫画、果ては俳句や短歌からクイズ、占いに至るまで・・・誰得な産物のオンパレードです。もう毎日無我夢中です。お蔵入りになったネタも結構あり、今それらを見るともうホント恥ずかしくて笑ってしまいますが・・・
しかしこのようなものでも通じる人がいる、ということが楽しくてたまりませんでした。このおかしなハイテンションなエネルギーは長い時を経て、ジャンルは移り変わっても、ブランクはあっても、私の中で少なくともまだ「やりたいことがある、表現したいものがある」という創作活動の原動力になっていることは確かだと言えます。

「ドカベン」は何と言ってもプロ編に入るまでが好きです。特に明訓高校に入った一年目の夏が大好きです。コミックスでいえば16巻、土佐丸との準決勝は読みすぎて、もうコミックスがボロボロになってしまいました。この頃の、いわば一昔前の高校野球という感じは今の高校野球にはもう感じることができなくなりました。今の高校野球はもっとずっとスマートになりましたね。甲子園球場もすっかり綺麗に変わってしまいました・・・
高校野球一辺倒だった私にプロ野球の魅力を教えてくれたのが、「あぶさん」と「野球狂の詩」でした。「野球狂の詩」は一つ一つのエピソードが珠玉です。義理、人情とプロ根性とは何かということをベタなストーリーで語ってくれます。昭和の香りプンプンです。歌舞伎の女形でありながら、スラッガーであるというトンデモ設定の国立玉一郎が大好きです。これはアニメにもなり(それもちょっと大人向けの、時間帯も確か遅かった)、こちらも原作が結構忠実に再現されていて好きでした。OPやEDの曲も良かったです。今でもたまにyoutubeで見かけて、懐かしくって感動しています。
「あぶさん」は南海ホークスの時代から始まって、これも強烈な昭和の香りに加えてベタベタな大阪の香り、それなのに何故か大人っぽく、そしてこれまたプロ野球とは何たるか、ということを私に教えてくれました。大人(オジサン)のあぶさんは高校球児とはまた違う魅力があふれています。特に未亡人と恋に落ちる「麻衣子」のエピソードはそういう一面を覗かせてくれて、ちょっとドキドキしました。
他にも「一球さん」「男どアホウ甲子園」「球道くん」など、野球漫画といえば水島新司といわれるくらい数多くの野球漫画を描かれていますが、よくもまあこんなに様々な展開を考えられるものです。いやほんとすごいです。本当に、作者の野球への愛があふれています。

水島漫画のおかげで野球の魅力を知り、そして二次創作の魅力を知りました。本当に感謝しても感謝しきれないくらいです。


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諸星大二郎

私の周囲で諸星大二郎という漫画家を知っている人が少なく、ずっとさみしい思いをしてきました。それで私は少しでも漫画好きの様子がうかがえる人には片っ端から啓蒙用のコミックスを押しつけて読んでもらっていますが、それでもそこまでハマってくれる人は多くはないようです。あの独特の画風?それとも重くて、ある意味壮大すぎる物語のせいでしょうか?

私と諸星大二郎の出会いは高校2年生の時に遡ります。同じクラスの、今思えばかなりオタクの男子がある日机の上にポンと3冊のコミックスを置いて、「これ、読んでみ。」と言いました。それが「暗黒神話」と「孔子暗黒伝(上下)」でした。驚くなかれ、これジャンプ(スーパー)コミックスだったのですが、表紙の結構おどろおどろしい、悪く言えば洗練されていない絵柄に妙に引きつけられました。家に帰ってその日は「暗黒神話」を読みました。(そちらから読め、ということだったので)そうしたら・・・その晩、一睡もできなかったのです。そんなこと、それまで一度もありませんでした。その漫画がぐるぐるぐるぐる頭の中を回って、一種の興奮状態でした。何か知ってはいけない、覗いてはいけない深淵を覗いてしまった、そんな感覚でした。

もともとホラーやオカルトの分野は好きだったし、民俗学や宗教、歴史も好きだった。加えてゴリ押しの謎解きのおもしろさ。ちょうど高二病(遅れてやってきた中二病)の私にドストライクだったのでしょうね。それから続けて「孔子暗黒伝」を読み(この衝撃の追い打ちもすごかった)、しばらくは本当にぼーっと熱に浮かされたようになっていました。でもなぜか人にこの漫画について熱く語ることはしませんでした。それらを貸してくれたその男子とも語り合うこともせず・・・。ひたすら自分一人で関連することを調べてみたり、関連した場所へ行ってみたりして、満足していました。(暗っ!)

その後、諸星大二郎の漫画をおそらく全て読み、大人になって大人買いしましたw。今でもコレクション用、それとは別に普段読む用、そして啓蒙用のセレクトした数冊があります。そう、高二の衝撃的な出会い以来、諸星漫画はずっと私の心の中に渦を巻き続けているのです。

オススメは、と聞かれても、どの作品にもそれぞれの世界があり、また読み手の心理や興味にもよると思うので難しいのですが、「マッドメン」、「妖怪ハンター」シリーズ、「諸怪志異」シリーズなどは比較的読みやすいのではないでしょうか。とても一度には語りきれないので、また別の機会に特に好きな作品をとりあげてみたいと思います。

 

    

馬頭星雲が・・・梵天の塔が・・・恐かった(今でも)

 

 


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