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台湾面白見聞録(3)

引き続き、台湾でみつけた面白いモノ、興味深いコトを紹介します。

(3)夜市
台湾の夜市は決まった場所で、年がら年中毎日開いています。日本でお祭りや縁日の時に開かれる屋台の夜店とは少し違います。
有名な夜市がいつくかありますが、ここは特に食べ物屋さんが多いとか、ここは衣類が充実しているとか、ここは遊戯が多いとかそれぞれ特徴があり、あちこち行って比較してみると面白いです。
昼からずっと開いているお店があり、そこに夕方から屋台が加わる感じです。屋台は店の前(道の両側)に出ることもあり、道の真ん中に出ることもありますが、道の真ん中に出ている店はおそらく未許可の店であるらしく、たまに警察が見回りに来ると、一斉に荷車を引いてダーッとどこかへ移動して、しばらくするとまた戻ってきます。人でごった返している中これをやられると、結構びっくりするし、危ないです。
台湾は昼間は暑いので、夜に買い物をすると聞きましたが、夜市は真夜中近くまでやっていて、晩御飯の後、家族連れでぶらぶら散策する娯楽の場所でもあるようです。夜9時を過ぎても小さい子供連れを見かけることがあり、日本との時間の感覚の違いを感じました。もちろん若者もグループで、ペアで、多くそぞろ歩いています。ネオンが明るく光り、音楽が聞こえ、賑やかでエネルギッシュで、これが毎日のことだとはまったく驚きます。特に週末や休日は混んでいます。
だいたいどこの夜市もメインの通りがあり、そこからいくつもの路地に広がるように店がありますが、少し離れると店も少なく、暗くなり、人気もなくなります。暗い路上では賭け事や怪しい品物の勧誘、ひったくりなどもあるようなので女性一人での外れた道の探検は危ないかもしれません。
大きな夜市は路地がまた路地へ続き、入り組んでいて迷路のようです。グルグル回ってまた気がついたら元の場所などということもあります。また、廟(道教や土着宗教の神社)やお寺の周りであることも多く、突然出くわす濃く漂う線香の香りと赤や黄色の提灯や蝋燭の明かりは、夜市の雰囲気作りに一役買っています。
夜市では何でも売っています。食品、衣類、靴、アクセサリ、日用雑貨、化粧品、おもちゃ、アイデアグッズ、CD、DVD、電化製品・・・台湾はPC周辺機器やモバイル関連グッズとアクセサリーも非常に充実しており、安く手に入ります。まあ、総じて品質はあまり良いとは言えませんが、デザインなどは流行の先端のものも多く、雑貨も意外と面白いものが安価で売っているのを見るとついつい物色したくなります。以前は悪名高い「偽ブランド品」が数多く売られていましたが、今は取締りも非常に厳しくなり、偽物はほとんど見なくなりました。
そして夜市のもう一つの楽しみは小吃(軽食、スナック)!これもそれぞれの夜市で有名なものや、そこでしか食べられない限定品などがあり、TV番組や雑誌でよく紹介されています。昔ながらのものから、流行のものまで、さまざまです。夜市の食べ物エリアに一歩足を踏み入れると、漂ってくる強烈な匂いは、おそらく「臭豆腐」です。最初は「絶対無理!」と思っていたこの臭豆腐、今では私の大好物になりましたが、当時日本から遊びに来た親は「あの匂いだけはダメ」と息を止めて店の前を通過していました。他にも揚げ物の油の匂い、薬膳鍋の漢方薬の匂い、果物の匂い、串焼きの匂い、甘い焼き菓子の匂い、杏仁の匂い、香菜の匂い、牛肉麺の匂い、香腸(甘いソーセージ)を焙っている煙の匂い・・・これらが混ざって一気に押し寄せてきます。慣れればこの匂いも、ワクワクを盛り上げてくれるものとなり、「さあ、今日は何を食べてみようかな~」といろんなお店を覗いてみるのです。
今ではすっかり整備され、清潔になり、建物の中に集められたり、整然と並ぶようになった食べ物エリア(美食広場、などとも呼ばれていますが)ですが、昔は床はなぜか常にビチョビチョ、ヌルヌル、大きな天幕の下にお店がゴチャゴチャに並び、テーブルも椅子もさしずめ椅子取りゲーム状態で、見ると店の大鍋にはなみなみと油が満たされ、それがプロパンの炎で熱せられて、ゴーッとものすごい音をたてています。そのすぐ横をヒヤヒヤしながらすり抜けながら、「これは危ない、危なすぎる・・・もし今この鍋が傾いて油があの火に引火したら・・・一巻の終わりだ!」などと考えるとおちおちそこで食べる気にもなりませんでした。このことは今でもその時遊びに来た親や兄弟と思い出話の端に上っては、笑っています。
また、清潔さに関しては少し怪しい気もしますが、幸いにも私は今まで一度も夜市の食べ物で当たったことはありません。夏はカキ氷や氷沙(シェイク)、愛玉檸檬(ゼリードリンク)や豆花、冬は湯圓(白玉入りスープ)や花生湯(ピーナツスープ)が美味しいです。有名な胡椒餅や生煎包(水煎包)、例の揚げた臭豆腐と泡菜(キャベツのピクルス)、牡蠣煎(牡蠣入りお好み焼き)などもお気に入りです。
晩御飯の後でも、ついつい食べたくなってしまう夜市の小吃の魅力には誰もが負けてしまって、皆何かしらをどこかで食べています。ひと時の熱に浮かされたような魅力あふれる夜市はまるで毎夜繰り広げられる宴のようで、なんとも楽しいのですが、帰り道には、めくるめく喧噪と眩しい光から解放された時に感じる静けさと暗さの落差に、祭りの後のようなノスタルジックな感覚に襲われるものです。

夜市・・・それはひと時のハイな気分をお手軽に楽しめる場所。年中無休でやってます。










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台湾面白見聞録(2)

台湾で見つけた面白いモノ、体験した興味深いコトを紹介します。

(2)市場
最近では大型の複合ショッピングセンターやお洒落で輸入品も数多く扱っているスーパーも増えましたが、庶民が毎日の食材や日用品を買う場所として、伝統的な市場もいまだ健在です。
市場にも、二、三階建てのビルになっている大きなものから、アーケードの商店街のようなもの、そして午前中だけの青空市場のようなものがあります。
海外へ行って、その地の生活を知るには、市場に行ってみるのが手っ取り早いと聞いたことがあります。台湾の市場は、清潔でキチンと整列されたスーパーに慣れた身にとっては強烈すぎるかもしれませんが、日本では今ではすっかり少なくなった対面式の「買い物」はなかなか刺激にあふれています。
青空市場では朝採りの瑞々しい野菜や果物が、荷車や簡単な台の上、もしくは地面に山盛りに積まれています。馴染みのないものや、日本のものとは全く違う色、形をしたものもあり、見ているだけでも楽しいです。気をつけなければいけないのは、単位が「一斤」もしくは「半斤」、葉物野菜なら一束いくらで売られているということです。一斤は600gですが、この感覚に慣れるまでには少し時間がかかるかもしれません。でも、名前を知らなくても指さすだけで大丈夫ですし、必ずなにがしかのオマケをしてくれるのは市場で野菜類を買う際の大きなポイントです。オマケは、葱や生姜、唐辛子や香菜で、これが非常に役立つし、十分な量なので、買わなくてもよいのです。
お気に入りの野菜は、長くて柔らかい茄子、細いセロリ、空心菜、サツマイモの葉、ヘチマなど。ヘチマと言えば、体を洗うスポンジのイメージしかなかったので、それを食べるなんて!(繊維っぽそう~)と思っていましたが、これが干しエビや生姜と炒めると、トロッとして柔らかく、味が染みてすごく美味しい!すっかりやみつきになりました。
果物も新鮮で、味見もさせてくれます。時々、産地直送の、農園からそのままおじさんがトラックに積んできたような(おそらく店を出す許可もとっていないような)訳アリの果物が、異様に安い値段で売っていることもあり、イチゴやミカン、レンブ(蓮霧)、パパイヤ、竜眼などをよく買いました。
台湾は亜熱帯なので、南国のフルーツが豊富です。また、マンゴスチンやドリアンなどの珍しい果物も、タイやフィリピンから輸入され、売られています。
アーケードの中や、ビルの中の市場では、野菜果物の他に、肉、魚、卵、乾物などが売られています。建物の中に入るとまず鼻をつく匂い・・・生の肉や魚と、乾物、調味料の匂いが混じってなんとも言えない匂いです。そしてふと見ると、肉屋さんの軒先には、巨大な足や内臓がぶら下がっていたりします。時には頭(顔)の皮も無造作に置かれていたり・・・かなり強烈です。
生鮮食品の他にも、日用品や花、衣料品、雑貨などがあり、値段はスーパーより少し安いくらいでしょうか…その場の雰囲気(交渉次第)でオマケや値引きもあったりするので、上手く利用すればお得です。日用品などは年配の人向けなのか、昔ながらのレトロな商品が多い気がします。衣料品ももちろん「おばちゃん」向けのものがほとんどですが、中には柄物のレギンスや、ブラウス、スカーフなど役立つものもあり、思えば結構愛用していました(笑)。
そして、必ずあるのが軽食の店。市場の中にあるので、もちろん実用一辺倒の、お世辞にも小綺麗とは言えない店ですが、小腹の空いたお店の人も、買い物客も、手軽に利用でき、安くて美味しいところが多い穴場です。私のお気に入りは、「菜包」というみじん切りの青菜の炒め物がぎっしり詰まった蒸し饅頭や、「総合湯」という魚のすり身団子と雲吞とセロリのスープ、それからシンプルな胡麻だれと独特な喉越しの麺がクセになる「涼麺」です。買い物帰りにこれらを食べたり、テイクアウト(外帯といいます)したりするのは本当に面白く、美味くて、市場へ買い物に行く楽しみでもありました。





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台湾面白見聞録(1)

以前、台湾に住んでいました。今でも年に一度は台湾を訪れる機会があります。
台湾と言えば、日本から飛行機で三時間弱、治安も比較的良く、便利で、食べ物は美味しい。親日家が多く、人も親切、お気軽に外国気分を楽しめる国というのが、多くの人が抱くイメージだと思います。もちろん、その通りです。でも観光で数日間訪れるのと、在住するのは大きく違います。
私が住んでいたのももうだいぶん昔です。この十数年で台湾もかなり変わりました。最近台湾を訪れて、台湾もより一層便利になり、綺麗になり、清潔になり、新しい開発区は活気があり、高層ビルが増え、今風の店も増え、道行く若者もスマートになったと感じました。しかしまた同時に「ああ、やっぱり台湾だ、変わっていない」とも感じて、なぜだかほっとするのです。台湾のどこか洗練されていない、バタ臭い感じ。よく言えば大らかな、いい加減さ。亜熱帯の気候、湿っぽくて懐かしい、時には暑苦しすぎる人情と相まって、台湾には独特の他の中華圏にはない文化や習慣や「モノ」があります。香港やシンガポールとは全く違うので、そこが非常に興味深いところです。
台湾に住んだばかりのころは、とにかく全てがカルチャーショックでした。郷に入れば郷に従え、です。先入観なしに経験を重ねていくうち、初めは違和感だらけだったことにも、ずいぶんと慣れました。台湾の「雑多さ」は、なんと表現したら良いのか、本当におもちゃ箱のようです。びっくりもしますが、ワクワクもさせてくれます。不思議で奇妙でおかしなものがいっぱいです。今回、当時の驚きを思い出したり、可笑しさを再認識したりした、そんな幾つかの「おもちゃ」を少しづつ紹介してゆけたらと思います。

(1)檳榔
ビンロウ、と読みます。山間部に自生する椰子に似た檳榔樹の実です。これを噛みタバコのように噛むと、眠気覚ましになったり、気分がハイになったり、疲れが取れたような一時的な爽快感があるため、タクシーやトラックの運転手、建設作業員などが嗜むことが多いようです。実だけでは酸性が強すぎるため、石灰を挟んだり、石灰を塗ったキンマの葉に包まれたものを噛むと、口の中で成分が混じって唾液が真っ赤になり、これを飲み込まずに吐き出して、残った繊維質をしばらくガムのように噛んでから吐き出します。(私は噛んだことはありません。)
昔は道路端や排水溝脇にこの真っ赤な吐き出したものをよく見かけました。初めはそれが何かわからなかったので、てっきり血の跡だと思っていました。病気で吐血したか、何かの傷害事件があって、出血したのか・・・物騒だな、と。
この檳榔は小箱や小袋入りで、道路脇の独特な建物で売られています。大体がトタンやベニヤ板で作られた簡素な掘立小屋のような建物ですが、前面、または三面がガラス張りになっていて、安っぽいギラギラしたネオンで飾られています。檳榔を売る店、すなわち「檳榔攤」は、田舎に行けば行くほど多く見られる気がします。この中で檳榔を売っているのが、「檳榔西施」と呼ばれる若い女性で、なぜかビキニや超ミニスカート、下着のような面積の狭い衣服を身につけて、カウンターに座っており、車が店の前に止まると出てきてくれます。西施は古代中国の美人の名前です。美人のお姉さんが持ってきてくれる、という付加価値付きのサービスなのですね。
今では風紀の面からも、売り子の女性達の恰好は規制され、ずいぶんとおとなしい衣装になりました。また、檳榔の汁を公共の場で吐き出すことは禁止になったので、道端であの赤い血糊のような残骸を見ることも少なくなりました。
しかし、嗜好品であり、需要はあるので、お店は普通にあります。ちなみに檳榔を買えるのは18歳以上です。

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永観堂

今年の紅葉の季節もそろそろ終わりを迎えます。
紅葉の名所は数々ありますが、京都東山にある永観堂は「紅葉の永観堂」として広く知られ、ポスターになったり、ランキングに載ったり、おすすめスポットとして必ず紹介されています。
今年も永観堂を訪れる機会がありました。
永観堂は正式には、浄土宗西山禅林寺派の総本山、無量寿院禅林寺ですが、第七世律師永観にちなみ、「永観堂」と通称されています。京都市地下鉄東西線の蹴上駅を出て、南禅寺の山門を見上げながら広大な敷地を北へ通り抜け、東山に沿って鹿ケ谷通りを歩いてゆくと、右手に総門が見えてきます。
この日は日没後の夜間拝観に行ったので、一旦門が閉められ、再び開門するまで30分ほど並びました。ふと見ると、後ろにはあっという間に長蛇の列ができており、観光バスがどんどん到着してきます。外国人観光客もいっぱいです。冬の短い日はもうとっぷりと暮れており、あたりは暗かったのですが、しばらくすると順々に照明がつき始め、鮮やかな紅葉が照らし出され、あちこちで歓声が上がりました。ようやく列が前へと進み、門を入ることができました。
すでに木々の葉は茶色く枯れ始めていますが、ライトに照らされると、まだまだ色鮮やかです。放生池の周りは特に美しく、その辺りから多宝塔を見上げると、東山を借景として、まさにポスターで見たことのあるアングルを楽しめるのですが、なんせそこら中で写真撮影が行われ、ゆっくりすることもままなりません。順路を示す矢印も、外国人観光客の目には全くとまらないようで、反対回りの人の波がぶつかって、ごった返しています。
なんとか池の周りを一周し、夜にも公開されている阿弥陀堂の方へと向かいます。この阿弥陀堂には私の大好きな仏像の一つである「見返り阿弥陀像」がご本尊として置かれています。この見返り阿弥陀像は、平安後期~鎌倉初期の、京都の仏師による作と伝えられていますが、作者は不明です。像高も77センチと、それほど大きくはありませんが、適度な装飾とそして何よりなんとも優雅な立ち姿が他にはみられない特徴です。
有名な伝説があり、「永観がお堂の中を一人で一心不乱に念仏行道していると、突然須弥壇に安置されていた阿弥陀像が下りて、永観を先導し、行道を始められた。気づいた永観は驚き、茫然と立ち尽くし、あまりのありがたさに涙があふれ、動けないでいると、阿弥陀は左肩越しに振り向き、「永観、おそし」と声をかけられた。」この阿弥陀像はその姿だということです。
とても心に残る、素敵なお話で、私は毎度このお話を思いながら見返り阿弥陀像を拝見するのですが、その時に同時に思い出す話があります。
それが、アナトール・フランスの「聖母の曲芸師」です。(前回紹介した「世界の文豪シリーズ」にも入っています) バルナベという曲芸師が、自分は他の修道士たちのように聖書も知らず、祈ったり仕事したりすることはできないと悲しんでいたが、唯一自分に曲芸ができることに気づき、毎日そっと曲芸を教会の聖母像の前で一人一生懸命披露している。そのことを知った修道士たちが「不謹慎だ、不遜だ、下品だ」とやめさせようとしたまさにその時、聖母像が動いて壇から下り、そっとバルナベの額の汗を拭われた、という話です。
見返り阿弥陀と聖母のお話、共通点があるように思われませんか。この二つの話を思い出すと、決して信心深くはない私でも、ふと涙が出そうになるのです。

永観堂には、もう一つお気に入りがあります。それが知る人ぞ知る水琴窟です。御影堂裏の阿弥陀堂と臥龍廊に別れる回廊の山裾にあります。
ゆっくり阿弥陀像や水琴窟を楽しもうと思うと、やはり紅葉の時期は外して訪れるほうが良いのかもしれません。



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イタリア旅行記(7)

カプリ島を後にして、船は一路ソレントへ。「帰れソレントへ」のソレントです。歌詞に、”オレンジの香り ほのかに漂い 森の緑にも 風は囁く” とありましたが(高校の時、音楽の時間に習いました)以前ここを訪れた時に、本当にオレンジの香りならぬレモンの香りが漂ってきて、驚いたことを思い出しました。周りを見渡すと、道の並木がレモンの木でした。町の家々の庭にも、必ずと言っていいほどレモンの木があり、日本で見るものよりも一回り大きいレモンがたわわになっています。オレンジや金柑のようなものも多いです。
ソレントの町は、典型的な地中海式の、ベージュ色の壁に赤い瓦屋根の家がゆるやかな坂道に続き、後ろを振り返ると木々の間から青い海が見えたりして、のんびり、小ぢんまりとしたとても良い雰囲気で、ちょっと住んでみたいと思わせるような町です。木々も松や糸杉のかわりに、蘇鉄や陽樹が植えられ、南の地であることを感じさせます。ここから今度は小型バスに乗り換え、ひと山越えて海岸沿いの道路を進みます。いよいよアマルフィに向かうのです。
アマルフィには以前見た映画やドラマのせいで、特別な思い入れを持っていました。絶対に訪れたい場所、私にとってのイタリアのイメージの一部を担う重要な場所です。色とりどりの建物が切り立った岸壁に張り付くように、でも決してせせこましい感じではなく、むしろ優雅に立ち並んで紺碧の海を見下ろしています。映画のように陽光溢れる季節ではないものの、春霞にふんわりと包まれたこのお洒落なリゾート地は、窓やバルコニーには花が溢れ、あちこちに秘密の路地や階段が迷路のように入り組んで、一種独特の雰囲気を醸しだしています。なんというハーレクイン感!



夏のアマルフィはきっともっとキラキラと眩しいことでしょう

町の中心には立派なドゥオーモがあり、広場から大階段が正面へ続いています。この聖堂の地下には、町の聖人、聖アンドレアの遺物が収められています。このドゥオーモはファザードが金色で彩られ、二色の大理石の柱とあいまって、階段の下から見上げると、太陽の光を浴びて、キラキラと非常に壮大で、荘厳です。アーチのせいか、なんとなく異国情緒もある建物です。イスラム式の中庭(天国の回廊)や地下聖堂も非常に美しく、是非時間をかけて見るべきところです。
 
ドゥオーモ広場周辺には、ジェラートの店やバール、レストラン、土産物のお店がたくさんあり、見て回るだけでも楽しいです。早速ブラブラしながら、このあたりの名産品であるリモンチェッロ(レモンのお酒)を買い込みました。リモンチェッロはアイスクリームにかけて食べたり、カクテルを作ったり、お菓子に使ったりして楽しめる南イタリアの味です。
アマルフィは夏のバカンスシーズンはさぞ人も多く、賑やかになるのでしょう。町を歩きながら、何故かやはりここは恋人と来るところだとつくづく思うのでした。

さて今回のイタリア旅行の最後のイベントは、ナポリ郊外、あのポンペイの遺跡を見ることです。映画や物語のせいなのか、なぜかポンペイに惹かれるものがあり、またどうしても訪れたいと思っていました。ナポリの町でスパゲッティ・ボンゴレと魚介のフリットの食事を済ませ、(これがまた美味しい!)ポンペイへ向かいます。
春うららの光の中、雄大なヴェスヴィオ山は、煙を吐くこともなく、静かに佇んでいます。ちょうど富士山を遠くから眺めるような感じと似ています。

遺跡というものは本当に想像力をかきたてられ、時の経つのを忘れてしまいます

ポンペイは現在も発掘が進められており、思ったよりはるかに大きな町であることが、入り口でもらった地図を見てもわかります。ドキュメンタリー番組などでも何度も紹介されている、二千年も前に現在と遜色ないインフラが整い、富と繁栄に満ちていた町の姿は、これが本当に火山灰の下から発掘されたものとは思えぬ鮮やかさ、立派さで目の前に広がります。広場、市場、浴場、娼館、貴族の館から庶民の家まで、当時の様子を知ることができ、また柵を隔てて手の届きそうなところに、あの有名な人型の石膏像が横たえられており、その生々しさに圧倒されます。二千年前、確かにここで人々が現在の私達と変らぬ生活、むしろもっと活気に溢れた日常を送っていたことを肌で感じることができます。
熱心に歩き回って見学していると、ここに来るまでには「もし、今ヴェスヴィオ山が噴火したら・・・」などと心配していたこともすっかり忘れてしまいました。ポンペイを出る頃にはもうすっかり夕方になっていました。

ナポリからローマへと戻り、フィウミチーノ空港から帰途につきます。嗚呼、アリヴェデルチ、ローマ! 再度ドバイを経由して、関西空港に戻ると、海外旅行から帰ってきた時に毎度感じる安堵感と心地よい疲労感と一抹の寂しさ・・・
久しぶりのイタリアはやはり魅力に満ちていて、何度訪れても飽きない、大好きな国であることを再認識しました。
「すべての道はローマに通ず」・・・憧れてやまない古代ローマ、歴史、ルネッサンス、美術、音楽、建築、モードファッション、美食、美しい自然・・・イタリアの魅力は尽きません。またいつの日か、再訪できることを願いつつ。

イタリア旅行記 終















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