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つれづれなるままに引き出しを開けると、自分でも忘れていたものを思い出したり… ぴったりの処方箋が見つかったり…
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永観堂

今年の紅葉の季節もそろそろ終わりを迎えます。
紅葉の名所は数々ありますが、京都東山にある永観堂は「紅葉の永観堂」として広く知られ、ポスターになったり、ランキングに載ったり、おすすめスポットとして必ず紹介されています。
今年も永観堂を訪れる機会がありました。
永観堂は正式には、浄土宗西山禅林寺派の総本山、無量寿院禅林寺ですが、第七世律師永観にちなみ、「永観堂」と通称されています。京都市地下鉄東西線の蹴上駅を出て、南禅寺の山門を見上げながら広大な敷地を北へ通り抜け、東山に沿って鹿ケ谷通りを歩いてゆくと、右手に総門が見えてきます。
この日は日没後の夜間拝観に行ったので、一旦門が閉められ、再び開門するまで30分ほど並びました。ふと見ると、後ろにはあっという間に長蛇の列ができており、観光バスがどんどん到着してきます。外国人観光客もいっぱいです。冬の短い日はもうとっぷりと暮れており、あたりは暗かったのですが、しばらくすると順々に照明がつき始め、鮮やかな紅葉が照らし出され、あちこちで歓声が上がりました。ようやく列が前へと進み、門を入ることができました。
すでに木々の葉は茶色く枯れ始めていますが、ライトに照らされると、まだまだ色鮮やかです。放生池の周りは特に美しく、その辺りから多宝塔を見上げると、東山を借景として、まさにポスターで見たことのあるアングルを楽しめるのですが、なんせそこら中で写真撮影が行われ、ゆっくりすることもままなりません。順路を示す矢印も、外国人観光客の目には全くとまらないようで、反対回りの人の波がぶつかって、ごった返しています。
なんとか池の周りを一周し、夜にも公開されている阿弥陀堂の方へと向かいます。この阿弥陀堂には私の大好きな仏像の一つである「見返り阿弥陀像」がご本尊として置かれています。この見返り阿弥陀像は、平安後期~鎌倉初期の、京都の仏師による作と伝えられていますが、作者は不明です。像高も77センチと、それほど大きくはありませんが、適度な装飾とそして何よりなんとも優雅な立ち姿が他にはみられない特徴です。
有名な伝説があり、「永観がお堂の中を一人で一心不乱に念仏行道していると、突然須弥壇に安置されていた阿弥陀像が下りて、永観を先導し、行道を始められた。気づいた永観は驚き、茫然と立ち尽くし、あまりのありがたさに涙があふれ、動けないでいると、阿弥陀は左肩越しに振り向き、「永観、おそし」と声をかけられた。」この阿弥陀像はその姿だということです。
とても心に残る、素敵なお話で、私は毎度このお話を思いながら見返り阿弥陀像を拝見するのですが、その時に同時に思い出す話があります。
それが、アナトール・フランスの「聖母の曲芸師」です。(前回紹介した「世界の文豪シリーズ」にも入っています) バルナベという曲芸師が、自分は他の修道士たちのように聖書も知らず、祈ったり仕事したりすることはできないと悲しんでいたが、唯一自分に曲芸ができることに気づき、毎日そっと曲芸を教会の聖母像の前で一人一生懸命披露している。そのことを知った修道士たちが「不謹慎だ、不遜だ、下品だ」とやめさせようとしたまさにその時、聖母像が動いて壇から下り、そっとバルナベの額の汗を拭われた、という話です。
見返り阿弥陀と聖母のお話、共通点があるように思われませんか。この二つの話を思い出すと、決して信心深くはない私でも、ふと涙が出そうになるのです。

永観堂には、もう一つお気に入りがあります。それが知る人ぞ知る水琴窟です。御影堂裏の阿弥陀堂と臥龍廊に別れる回廊の山裾にあります。
ゆっくり阿弥陀像や水琴窟を楽しもうと思うと、やはり紅葉の時期は外して訪れるほうが良いのかもしれません。



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