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つれづれなるままに引き出しを開けると、自分でも忘れていたものを思い出したり… ぴったりの処方箋が見つかったり…
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今年の夏は特に暑く、ずっとカンカン照りの日が続いて、最高気温や最少降水量の記録を更新していましたが、久しぶりに強い雨が降り、台風の影響もあってか夏の嵐を実感しました。
夏は嵐と共に過ぎ去ってゆきます。遠い雷鳴が響いています。いつの間にか蝉の声が聞こえなくなりました・・・この季節は私が一年で最も好きな季節です。夏が好きだからかもしれませんが、特に季節の移り変わりをはっきり感じて、物淋しくなってしまうこの時期です。こうしてひと夏の思い出はあっという間に遠ざかり、まるで透明なガラス瓶の中に封印されてしまうようです。
子供の頃、夏休みというものには特別な響きと輝きがありました。一学期の終業式の日、地区別の児童会があって、そこでなぜか地区毎に夏の目標やら、活動やらを取り決めました。「朝の涼しいうちに勉強しよう」というスローガンが定番でした。ラジオ体操の場所や係を決めました。もう今ではラジオ体操もやらなくなってしまったのでしょうか。感想文や日記、ドリルや自由研究に悩まされた1カ月半ですが、子供は夏休みに成長するといっても過言ではありません。それほどいろいろな思い出が増えてゆく、いろんなことを経験する特別な期間でした。

なぜこんなことを思い出したのかというと、楳図かずおの「漂流教室」を久々に読み返したからです。これは夏休みの話ではありませんが、なぜか「夏休み」とオーバーラップするものがある気がしてなりません。ただしこの夏休みには終わりがなく、その先もどうなるのか全く見当もつかない、永遠の試練の日々が待ち構えているだけですが・・・。その点ではまだ「十五少年漂流記」のほうが、はるかにやさしいです。救いがあります。
「漂流教室」の面白さは、よく言われるように極限状態に置かれた人間の心理と行動、社会の理想と現実、なのですが、これが小学生に限られたことで、一層露骨になります。子供ゆえの幼さ、純粋さ、無知、経験のなさが恐ろしいほど原始的で本能的な行動をとらせるのです。その行動は大人顔負けというより、むしろ大人よりもはるかに残酷で、わかりやすいものです。最初は大人(先生)も出てきますが、大人は計算高く、ずるくて弱くて自分勝手です。結局自滅してゆきます。(関谷を除いて) 一人残った関谷がまた怖い・・・w大人の汚さの象徴です。しかしそれを上回るのが子供達の「生きる」ための本能です。
子供向けの漫画とは思えないほど子供達が次々と死んでゆきます。グロテスクな描写や、コードにひっ掛かりそうな問題描写もあります。(私はあの怪虫と人類の生き残りが変化した姿が結構なトラウマになっていますw)そしてお母さんのあのエキセントリックさ・・・わが子の為に狂人のようになる母親は周囲から理解されず、恐れられ、蔑まれます。それでもそんなことは意にも介さずただただわが子の為に必死な姿は始め可笑しく、だんだん怖くなり、そして最後には同情すらしてしまいます。
パニックに陥った子供達の昂りはもうとどまることを知りません。誰も頼ることはできないと悟った時から、子供達はもう弱者ではなくなるのです。自分の生命と安全の確保のためには他人をも犠牲にしようとしますが、一方で、他人(仲間)のために自分を犠牲にしようとするその純粋な精神・・・子供の心理と行動について、作者の楳図かずお氏は大変深い洞察も持っているのだと感心します。氏は「まことちゃん」においても子供のもつ奇妙さ、純粋さ、恐さ、可笑しさといったものを十二分に描き出しています。私は子供の頃から、(自分も含めて)子供というのは大人が考えているほど幼くはなく、十分いろんなことを認識し、感じられる、ある意味怖い存在なのだと考えていました。作者もきっと同じように感じておられるのだと思って、ちょっと安心しました。そうしたら、私の友人がこう言いました。「楳図かずお氏はきっと子供の心のまま大人になったんだよ。」・・・言い得て妙だと思いました。
漂流教室のラストは示唆に富んでいます。疑問や問題を残したまま終わってしまいます。そして私達に永遠に晴れない心の霧を置いて行くのです。氏のお得意の怪談とはまた違う、とても怖いお話です。でもなぜか夏になると思いだして読みたくなってしまいます。
この漂流教室をもっとグローバル(地球規模)に広げて、未来へと発展させたのが、「14歳」という作品です。描く作者のテンションも一層高く、荒ぶっているように感じます。機会があれば、「14歳」と合わせて読むと、作者の意図や訴えたいことがもっとはっきりとあぶりだされてくるような気がします。
楳図かずお氏、今年喜寿だそうです。おめでとうございます。今なお精力的な活動をされていることが一ファンとして本当に嬉しいです。
   トラウマ画像はやめておきます・・・

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某巨大掲示板に「池上遼一を語るンだよ!」というスレッドがあって、噴きたしたことがありました。しかし、この見憶えのある言い回し、会話に頻出する「ン」は実際は池上遼一ではなく、原作者として何度もタッグを組んだ小池一夫氏の台詞なのですね。
池上遼一氏はあの水木しげる氏のアシスタントをされていたことでも有名です。(「ゲゲゲの女房」にもちゃんと登場されていました)

野球漫画に夢中になっている頃、本屋さんで立ち読みばかりしているうちにだんだん劇画ものが好きになっていきました。一番初めはながやす巧の「愛と誠」、この、少女漫画の学園モノとは一味違う、パンチの利いた(利きすぎ?)内容と絵柄に強く惹かれました。決して表には出ない、すさんだ裏社会としての学園、当時大流行りだった不良の世界と、ロミオとジュリエットばりの純愛という一見相容れないものの融合。これはとても衝撃的でした。新たな世界の幕開けです。
そしてその後知った池上遼一の「男組」(原作:雁屋哲)の世界にどっぷりハマり込んでしまうのに時間はかかりませんでした。「不良学園モノ」とも一口に言えないこの作品の内容は、アクション、任侠、政治、陰謀、男臭さの極致です。これが少年サンデーで掲載されていとは驚きです。「男とは」「信義とは」「理想の社会とは」といった今ではちょっと恥ずかしいようなテーマを何のケレン味もなく、ぶつけてきます。そして何より作者の見事な筆致、絵柄が大好きになりました。この作品もコミックスにして25巻と長く、絵柄も徐々に変遷してゆきます。最初の頃の大胆で力強い線がだんだん精巧でシャープな感じになってゆきますが、とにかくそのデッサンとリアル感、躍動感が素晴らしく、こんな絵が描きたい、と必死に模写を繰り返していました。主人公の流全次郎はもちろん大好きでしたが、敵役である神竜剛次もまたこれがカッコ良く、決して嫌いにはなれませんでした。(こんな高校生いるの?w)内容にも感化され、社会を憂いて見たり、男の生き様にあこがれたり・・・(笑)思えばこの頃が私の中二病絶頂期だったかもしれません。
それからというもの、とにかく池上遼一の漫画を読み漁りました。青年誌が多いので、ちょっと勇気が要りましたが…最初は「I・餓男ボーイ」だったか、「傷追い人」その後「スパイダーマン」「赤い鳩」「オファード」「フリーマン」・・・衝撃に次ぐ衝撃、まさに大人の階段一気に駆け上りですw とにかく登場人物が脱ぐ、脱ぐ・・・しかもその肉体はギリシャ彫刻よろしく素晴しく美しいのです。まさに芸術です。「サンクチュアリ」(原作:小池一夫)「信長」(原作:工藤かずや)に至って私の中では池上遼一はもう確固たる、不動の位置を占めました。もちろん雁屋哲、武論尊(史村翔)、小池一夫各氏らの原作は非常に秀逸、でもこれらの原作をここまでの世界で見事に描き上げられる池上遼一氏には本当に驚きと賞讃、尊敬しかありません。本当に大好きな漫画(劇画)家であります。

   
「クソッ、イイ男には特徴がないからな…」とはフリーマン(左)で主人公を追う刑事の言葉。氏の描く主人公の男達は男前すぎます。




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水島漫画は私にとって特別なものです。
数あるお気に入りの漫画群の中で、特別な位置を占めています。中でも「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」はその名前を聞いた瞬間に、懐かしさと共に今となっては完全に黒歴史と化した私の過去の記憶、青春時代を呼び戻してくれるのです。
私の二次創作の歴史は「ドカベン」から始まりました。あれほど一つの漫画を読みこんだのは初めてでした。野球のルールや用語も全てこの漫画で覚えて、詳しくなりました。お気に入りのキャラやコマを毎日のように模写して見なくても描けるようになり(特にあの絵柄を再現することに熱意を注いでました)、ストーリーを覚え、セリフを覚え、そうしてそれらで遊ぶ、つまり二次創作というものに目覚めたのです!
初めて同人誌を購入し、自分も参加するようになったのも「ドカベン」からです。当時この漫画の同人があったのも今思えば驚きですが…それも一つや二つではなく、レベルもかなりのものでした。ただその頃は現在のようにネットサイトもなく、同人活動も内容も全くわからないまま手紙と郵便小為替を送るとオフセット印刷の同人誌が郵送されてきて、自分もまた原稿を郵送する、という非常にアナログで悠長なやり取りでしたが、家に郵送されてくるのが楽しみで、毎日ワクワク郵便受けを覗きに行ったものでした。周りに熱く語れなくても、周りに理解者がいなくても、ここ(同人)では日本全国の見ず知らずの人と繋がり、同じ思いを語り、ネタに爆笑することができる・・・なんという素晴らしいことでしょう。私の人生で新しい扉が開かれた瞬間でした。
一つの漫画を元に、いろいろなネタが次々と浮かんで、技術もないのになんとかそれを具体化しようと必死でした。CMやドラマのパロ、歌や曲とあわせたイメージイラスト、変なギャグや4コマ漫画、果ては俳句や短歌からクイズ、占いに至るまで・・・誰得な産物のオンパレードです。もう毎日無我夢中です。お蔵入りになったネタも結構あり、今それらを見るともうホント恥ずかしくて笑ってしまいますが・・・
しかしこのようなものでも通じる人がいる、ということが楽しくてたまりませんでした。このおかしなハイテンションなエネルギーは長い時を経て、ジャンルは移り変わっても、ブランクはあっても、私の中で少なくともまだ「やりたいことがある、表現したいものがある」という創作活動の原動力になっていることは確かだと言えます。

「ドカベン」は何と言ってもプロ編に入るまでが好きです。特に明訓高校に入った一年目の夏が大好きです。コミックスでいえば16巻、土佐丸との準決勝は読みすぎて、もうコミックスがボロボロになってしまいました。この頃の、いわば一昔前の高校野球という感じは今の高校野球にはもう感じることができなくなりました。今の高校野球はもっとずっとスマートになりましたね。甲子園球場もすっかり綺麗に変わってしまいました・・・
高校野球一辺倒だった私にプロ野球の魅力を教えてくれたのが、「あぶさん」と「野球狂の詩」でした。「野球狂の詩」は一つ一つのエピソードが珠玉です。義理、人情とプロ根性とは何かということをベタなストーリーで語ってくれます。昭和の香りプンプンです。歌舞伎の女形でありながら、スラッガーであるというトンデモ設定の国立玉一郎が大好きです。これはアニメにもなり(それもちょっと大人向けの、時間帯も確か遅かった)、こちらも原作が結構忠実に再現されていて好きでした。OPやEDの曲も良かったです。今でもたまにyoutubeで見かけて、懐かしくって感動しています。
「あぶさん」は南海ホークスの時代から始まって、これも強烈な昭和の香りに加えてベタベタな大阪の香り、それなのに何故か大人っぽく、そしてこれまたプロ野球とは何たるか、ということを私に教えてくれました。大人(オジサン)のあぶさんは高校球児とはまた違う魅力があふれています。特に未亡人と恋に落ちる「麻衣子」のエピソードはそういう一面を覗かせてくれて、ちょっとドキドキしました。
他にも「一球さん」「男どアホウ甲子園」「球道くん」など、野球漫画といえば水島新司といわれるくらい数多くの野球漫画を描かれていますが、よくもまあこんなに様々な展開を考えられるものです。いやほんとすごいです。本当に、作者の野球への愛があふれています。

水島漫画のおかげで野球の魅力を知り、そして二次創作の魅力を知りました。本当に感謝しても感謝しきれないくらいです。


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清水へ祇園をよぎる朧月夜 今宵逢ふ人みな美しき  与謝野晶子

一年で二番目に好きな季節がやってきました。ちょうどこの桜満開の頃から晩春の、まったりと爛熟した季節が大好きです。
先日TVで連続して平安神宮のしだれ桜が紹介されており、もう何年も見ていないことに気がついて、思い立って見てきました。相変わらず人が多くげんなりはしましたが、池の周りのしだれ桜は満開の枝を微風にゆらしながら水面に照り映えて、花弁ははらはらと舞い、「ああやっぱり桜はいいなあ、春はいいなあ」と日頃のあわただしさを忘れさせてくれた一日でした。
だいたいこのお花見の時期は季節は春というものの、寒の戻りだったり、雨が降ったりして寒くて優雅なお花見とは程遠い経験を何度もしており、またどこへ行っても人が多すぎることもあって、あまり「お花見」に出かける気は起らないのですが、それでもこうして満開の桜を見るとなんとも言えない幸せな、そして物悲しいような高揚した気持ちになります。それは桜が過ぎ去った日々を思い出させるからなのか、それとも世界一桜好きの民族の血が静かに騒ぐのでしょうか。とにかくこの時、この場所にいる人々はみな一様に花を愛で、散りゆく花を惜しむ、不思議な一体感でつながっているようでした。

高校の古文の授業で与謝蕪村の「春風馬堤曲」という詩(散文、漢文、俳句が混ざった文章)を習いました。なぜかこの詩が好きでした。特に後半にかけての盛り上がりと、人の俳句の引用で終わる最後の余韻は印象的でした。この季節になると必ず思い出すこの詩の良さが今頃になってわかってきたような気がします。
…(前部分省略)
故郷春深し行々(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)
 楊柳
(やうりう)長堤道(みち)漸くくだれり
嬌首
(けうしゆ)はじめて見る故園の家黄昏(くわうこん)

 戸に倚
(よ)る白髮(はくはつ)の人弟(おとうと)を抱(いだ)き我を
 待
(まつ)
春又春
君不見
(みずや)古人太祇(たいぎ)
が句
  藪入の寢
(ぬ)るやひとりの親の側(そば)

この描写と今まさに爛漫の春の風景がオーバーラップして、美しさの真っ只中で何故だかわからないけど不意に悲しくなるような感情、いわゆる春愁をかきたてるのです。つくづく春は明るい憂いの季節だと思います。春愁といえば、音楽の授業で必ず習う「花」という歌も、あのどこまでも明るい曲調と流麗な七五調の歌詞の中に、ある種の感傷が隠れている気がしてならないのです。だからこそ好きなのかも知れませんが…。
ゆったり暮れゆく鴨川の風景は、桜、菜の花、雪柳、柳の新芽が織り交ざって、まさに春宵一刻値千金でした。
    平安神宮神苑にて





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ジャッキーチェンがハリウッド進出して、アジアのアクションスターとして有名になり始めた頃から、香港映画は複雑に進化して、枝分かれしていったように思われます。古典的なアクション映画、コメディ映画、文芸作品という流れにそれまでにはなかった新しい潮流が加わりました。それが、いわゆる「香港ノワール」と呼ばれる分野です。
香港ノワールとは、香港製のフィルム・ノワール、平たく言えば任侠もの、やくざものですが、フィルム・ノワールのイメージよりももっとバタくさく、男くさい感じです。チョウ・ユンファ(周潤發)の「男たちの挽歌」から火がついて、この手の作品が爆発的に流行りました。とにかく派手にドンパチがあるのですが、アクションというよりも、ベタベタの人情、任侠、義理、しがらみ、プラス男の面子(メンツ)wの描写に重きが置かれていて、クセになる面白さがあります。そしてもうひとつの特徴として「女がでてこない」ということがあります。厳密には出てはくるのですが、決してヒロインポジションではありません。存在感薄いです。甘い恋愛もありません。描かれるのはあくまで「男の世界」が中心です。
しかしこの独特な香港ノワールの世界は香港がイギリスから中国に返還されて以降、次第にその影が薄くなります。時代の変化、文化の変化が香港の任侠世界にも変化を及ぼし、様変わりしました。イギリス統治時代の香港は「古き良き(?)過去」となりました。

2002年、そんな混沌の過渡期の香港を舞台にとんでもないノワール映画が作られました。それが、「インファナル・アフェア(原題:無間道)」です。この後2003年には3部作として、二部「無間序曲」、三部「終極無間」が製作されました。
警察からやくざの世界へとやくざの世界から警察へ、奇しくも同時期にスパイとして送り込まれた二人の若者の壮絶な運命が描かれており、その完成度たるや、ある意味香港ノワールの集大成であり、頂点の作品とも言えると思います。主演はトニー・レオンとアンディ・ラウ、もうこれだけでも見る価値あり。苦悩する男の渋さ、カッコ良さが全面に溢れています。しかし何と言ってもそのストーリーが秀逸で、あまりに素晴らしいため2006年にはハリウッドで、そして今年のお正月ドラマとして日本でもリメイクされました。(ハリウッド版題名は「Departed」、日本ドラマ版の題名は「ダブルフェイス」) ハリウッド版も、日本ドラマ版も出来は決して悪くはなく、ちゃんと原作のリスペクトもされていますが、私はどうしても、このストーリー、この世界観はやはり「香港」でなければならないのだと感じました。
香港という閉ざされた、矮小な世界に渦巻く濃~い人間ドラマ、香港の任侠世界はイタリアンマフィアの世界とも、日本のヤクザの世界とも異なるのです。それは映画の端々のちょっとした描写などで逆に鮮烈に感じられます。ヤクザの組長たちが息詰まる駆け引きをする屋台の火鍋屋であったり(野菜はレタスw)、猥雑な雑居ビルの中の部屋であったり、警察で出される食事であったり、TVやラジオで流れる曲であったり、取引の手はずや、敵の始末の仕方(怖い!)であったり・・・ それらはどれも決してスマートではなく、そして常に香港独特の、じっとりと汗ばむような湿っぽさ、むせかえるような温度やにおいがつきまとっているのです。
「無間道」だけでも非常に完成された作品であるように思いますが、三部合わせて見ることにより、物語に一層深みが増します。個人的には二部の過去編がこれまたツボでした。過去は・・・王道ですよね。アンディ・ラウの若い頃をエディソン・チャンが、トニー・レオンの若い頃をショーン・ユーが演じていますが、この二人がまたイケメンで、雰囲気がピッタリです。若い、尖った、切ないほろ苦さを余すところなく魅せてくれます。たまりません・・・!
堅気の世界で生きようとしていたもの静かな長男が、意に反して父親の跡目を継ぐことになる、その変わりっぷりをフランシス・ンが鬼気迫る演技で見せてくれて、とても印象深いです。その他のキャストも非常に豪華でそれぞれに、これ以上ないほど合っています。
ハラハラ、ドキドキ、何度見ても面白い、「インファナル・アフェア」三部作は香港返還という忘れられない出来事と共に私のお気に入りの香港映画コレクションの一つになりました。

     
 2002年 アンドリュー・ラウ監督    若き日の二人を演じたエディソン(左)とショーン(右)   若いっ!







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