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つれづれなるままに引き出しを開けると、自分でも忘れていたものを思い出したり… ぴったりの処方箋が見つかったり…
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第九

この時期になると、必ずあちこちで耳にするベートーヴェンの交響曲第9番です。オケの年末の定期演奏でもこの曲を演奏することが多く、すっかり冬の恒例行事のように定着していますが、ちゃんと由来はあったのですね。近頃はTV番組でもフルで演奏が聴ける(見られる)のでわざわざ演奏会に出かけなくても、とも思うのですが、この時期、第九の演奏会に行くのは何か特有の雰囲気があってちょっと日常を離れる良い機会でもあります。

ベートーヴェンの最後の交響曲となったこの作品は、聴衆の側でいうと、厳寒の冬空の下、暖かいホールの中でコートを脱いで寛ぎながら、少々興奮した気分に浸ってると、いきなり激しい1楽章が始まり、そのまま2楽章のティンパニの音が心地良く、だんだん体がリズムに乗ってきて、その後3楽章のホルンの旋律で夢の世界へ・・・怒涛の4楽章への突入でハッと我にかえる、という感じですね。(あくまで私の場合です)

これが参加する側だと、当然ですが全く違ってきます。第九の4楽章は言わずと知れた「合唱つき」です。シラーによる有名な詩にベートーヴェンが曲をつけたもので、「歓喜の歌」として広く知られ(学校でも習いますね)、確か20世紀のベスト音楽の一つにも選ばれています。この合唱に何度か参加しました。本当はあの「1万人の第九」に参加したかったのですが、あれは非常に人気があり、リピーターも多く、そもそも募集制限があって、なかなか参加が難しいので、ローカルな演奏会の合唱ですが。
この第九の合唱に参加するためには、特に難しいオーディションがあるわけでもありませんが、演奏会前の3ヶ月以上に及ぶ練習(時には半年近く)に参加しなければなりません。だいたい土日に練習があるので、この期間は結構拘束され、遊びにいく暇もなくなります。合宿で練習なんていうこともありました。前半はパート毎に分かれて、ドイツ語の歌を少しずつ、繰り返し音取りしながら練習します。楽譜を見ずに歌えるようになった頃、各パートの合同練習(合唱)です。一般市民の参加するこうした合唱は、参加している人の年齢も、仕事も、立場も関係なく、結構キツイ練習を皆そこそこ真面目にこなしているうち、なんだか学生時代に戻ったような気分になります。ソロで楽しむ音楽とはまた違った面白さがあります。オケと合わせられるようになるのは、最後の最後です。
合唱の服装は髪型、靴なども細かく決められていることが多く、女性は大体黒のロングスカートですが、壇の上に上がる時などはスカートを踏んで転んでしまうという大失態をしないか、結構ヒヤヒヤします。
第九は長いです。合唱メンバーは決められた場所に並んで、ジーッとオケの演奏を聴きながら待っています。昂ってくる時間です。1、2楽章はあっという間に過ぎ、いつもは夢心地の3楽章の頃にはもう緊張も頂点に達します。その一方で有名なソリスト(独唱)の方と一緒に並んだり、いつもは前からしか見ないオケの演奏を後ろ側から間近に見れるのは、興味深く、ワクワクします。
曲が始まったらもう突っ走るのみで、自分の声はほとんど聞こえない状態です。この時ばかりはもうそれまでに溜り溜ったストレスを全て吐き出すように、思いっきり叫びます(叫んではいけないと散々注意されているのに)。ハイになれる瞬間ですw 飽きるほど繰り返したフレーズですが、やはり本番で歌っていると感極まるものがあり、最後の一呼吸が終わり、オケのラストの畳みかけるような演奏を聴く頃には真っ白に燃え尽きています。面倒だった練習もどこかへ吹き飛んでしまうようなこの充実感をとやりきった感を味わえるからこそ、「ああ、やっぱり第九はいいなあ」としみじみ感じるのでしょうね。

同じ阿呆なら参加せねば損、損・・・ということで、また懲りずに機会があれば歌いたいな~と思っています。

ちなみに演奏する側なら、一番好きなのは交響曲第5番「運命」です。それについてはまた別の機会に・・・


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引っ越し

私事ですが、9月末に引っ越しました。同じ市内ですので、距離的にはたいしたものではありませんが、近距離でも引っ越しは引っ越し。10年以上住んでいた所から出るとなれば、準備も大変です。
この際「断舎利」を実行しよう!と心に決めていたのですが、いざ捨てようとするとなかなかこれが難しい。何年も使っていないものの中には、もうすっかり忘れているものもあり、日々の生活には必要ないとわかっていても、どうしても捨てられないのです。それでも必死の思いでかなりの量を処分しました。
荷造りも、随分早くからダンボールをもらっていたにもかかわらず、これがまたちっとも進まない。暑い最中でもあり、ヤル気スイッチがなかなか入らず困りました。結局ギリギリになってから、焦って作業する「ダンボール戦士」に変身し、手を傷だらけにしながら、箱を積み上げていきました。ダンボールで手を切ると痛いですね・・・箱がだんだん積み上がっていって、そのうち通り道もなくなり、それでも日常の生活はあるわけで、台所なども最後まで残ってしまい、苦労しました。ウチの犬もダンボールの山の中で身の置き所もなく、所在なさげに突っ立っており、可哀想でした。

以前実家が引っ越した時、飼っていた犬(シェルティ・雄、13歳)が引っ越しの前日に亡くなった、悲しい思い出があります。新しい家に行ったら、庭で思いっきり遊ばせてあげようね、と家族で話していたので、それもかなわなくなり、残念で仕方ありませんでした。引っ越しで皆がバタバタしており、不調に気がつかなかったこともありますが、私はあの子がそんな状況を察して、静かに、ひっそりと旅立っていったように思えて、涙がとまりませんでした。
そんなわけで、今回の引っ越しでも、ペットに影響がないか、心配していた矢先のことです。ウーパールーパーが急に元気がなくなってきました。今年の夏、一番暑い日が続いていた頃です。知り合いの人のところからウチへ来て3年、元気に大きく育って、水槽が小さくなり、今度新しい家では倍くらいの大きさの水槽に、石や隠れ家をレイアウトして・・・と考えていました。すごく不安になり、急遽水を替えたりしてみたのですが、お腹に空気が溜って、沈むことも、餌を食べることもできなくなってしまいました。いてもたってもいられずに、ネットで治療方法の情報を必死で調べましたが、究極はお腹に針を刺して空気を抜くという荒療治しかなく(それも助かる保証はない)、何度も針を手にはしたのですが、どうしてもお腹に針を刺すことができませんでした・・・
結局、3日以上も苦しんで、亡くなりました。飼い主として、まだ若いウーパーを死なせてしまったこと、良い環境に連れて行ってあげられなかったことが、悔やんでも悔やみきれず、ただただ悲しくて、残念でした。やはり引っ越しが間近に迫って、バタバタして、少しの変化に気がついてやれなかった、同じ轍を踏んでしまったという自責の思いでいっぱいです。
ゴールデンという種類で、非常に美しい個体でした。はじめて飼育したウーパーでした。

引っ越しして2か月、まだまだ片付きませんが、ここの便利で静かな環境が気に入っており、やっと毎日のリズムも戻ってきました。これからは自分の机回りを充実させて、要塞をつくるという密かな計画を着々と実行していこうと企んでいます。おかげさまで犬のほうは引っ越しのストレスも乗り切り、元気です。高齢なので油断はできませんが・・・少しだけほっとしています。
ウーパーは前庭の百日紅の木の下に埋めました。百日紅の赤い花は、金色に美しく輝いていたウーパーのことをいつも思い出させてくれることでしょう。
ウパちゃん、これからもここでこの家をずっと見守っていてね・・・


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漂流教室(楳図かずお)

今年の夏は特に暑く、ずっとカンカン照りの日が続いて、最高気温や最少降水量の記録を更新していましたが、久しぶりに強い雨が降り、台風の影響もあってか夏の嵐を実感しました。
夏は嵐と共に過ぎ去ってゆきます。遠い雷鳴が響いています。いつの間にか蝉の声が聞こえなくなりました・・・この季節は私が一年で最も好きな季節です。夏が好きだからかもしれませんが、特に季節の移り変わりをはっきり感じて、物淋しくなってしまうこの時期です。こうしてひと夏の思い出はあっという間に遠ざかり、まるで透明なガラス瓶の中に封印されてしまうようです。
子供の頃、夏休みというものには特別な響きと輝きがありました。一学期の終業式の日、地区別の児童会があって、そこでなぜか地区毎に夏の目標やら、活動やらを取り決めました。「朝の涼しいうちに勉強しよう」というスローガンが定番でした。ラジオ体操の場所や係を決めました。もう今ではラジオ体操もやらなくなってしまったのでしょうか。感想文や日記、ドリルや自由研究に悩まされた1カ月半ですが、子供は夏休みに成長するといっても過言ではありません。それほどいろいろな思い出が増えてゆく、いろんなことを経験する特別な期間でした。

なぜこんなことを思い出したのかというと、楳図かずおの「漂流教室」を久々に読み返したからです。これは夏休みの話ではありませんが、なぜか「夏休み」とオーバーラップするものがある気がしてなりません。ただしこの夏休みには終わりがなく、その先もどうなるのか全く見当もつかない、永遠の試練の日々が待ち構えているだけですが・・・。その点ではまだ「十五少年漂流記」のほうが、はるかにやさしいです。救いがあります。
「漂流教室」の面白さは、よく言われるように極限状態に置かれた人間の心理と行動、社会の理想と現実、なのですが、これが小学生に限られたことで、一層露骨になります。子供ゆえの幼さ、純粋さ、無知、経験のなさが恐ろしいほど原始的で本能的な行動をとらせるのです。その行動は大人顔負けというより、むしろ大人よりもはるかに残酷で、わかりやすいものです。最初は大人(先生)も出てきますが、大人は計算高く、ずるくて弱くて自分勝手です。結局自滅してゆきます。(関谷を除いて) 一人残った関谷がまた怖い・・・w大人の汚さの象徴です。しかしそれを上回るのが子供達の「生きる」ための本能です。
子供向けの漫画とは思えないほど子供達が次々と死んでゆきます。グロテスクな描写や、コードにひっ掛かりそうな問題描写もあります。(私はあの怪虫と人類の生き残りが変化した姿が結構なトラウマになっていますw)そしてお母さんのあのエキセントリックさ・・・わが子の為に狂人のようになる母親は周囲から理解されず、恐れられ、蔑まれます。それでもそんなことは意にも介さずただただわが子の為に必死な姿は始め可笑しく、だんだん怖くなり、そして最後には同情すらしてしまいます。
パニックに陥った子供達の昂りはもうとどまることを知りません。誰も頼ることはできないと悟った時から、子供達はもう弱者ではなくなるのです。自分の生命と安全の確保のためには他人をも犠牲にしようとしますが、一方で、他人(仲間)のために自分を犠牲にしようとするその純粋な精神・・・子供の心理と行動について、作者の楳図かずお氏は大変深い洞察も持っているのだと感心します。氏は「まことちゃん」においても子供のもつ奇妙さ、純粋さ、恐さ、可笑しさといったものを十二分に描き出しています。私は子供の頃から、(自分も含めて)子供というのは大人が考えているほど幼くはなく、十分いろんなことを認識し、感じられる、ある意味怖い存在なのだと考えていました。作者もきっと同じように感じておられるのだと思って、ちょっと安心しました。そうしたら、私の友人がこう言いました。「楳図かずお氏はきっと子供の心のまま大人になったんだよ。」・・・言い得て妙だと思いました。
漂流教室のラストは示唆に富んでいます。疑問や問題を残したまま終わってしまいます。そして私達に永遠に晴れない心の霧を置いて行くのです。氏のお得意の怪談とはまた違う、とても怖いお話です。でもなぜか夏になると思いだして読みたくなってしまいます。
この漂流教室をもっとグローバル(地球規模)に広げて、未来へと発展させたのが、「14歳」という作品です。描く作者のテンションも一層高く、荒ぶっているように感じます。機会があれば、「14歳」と合わせて読むと、作者の意図や訴えたいことがもっとはっきりとあぶりだされてくるような気がします。
楳図かずお氏、今年喜寿だそうです。おめでとうございます。今なお精力的な活動をされていることが一ファンとして本当に嬉しいです。
   トラウマ画像はやめておきます・・・

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池上遼一

某巨大掲示板に「池上遼一を語るンだよ!」というスレッドがあって、噴きたしたことがありました。しかし、この見憶えのある言い回し、会話に頻出する「ン」は実際は池上遼一ではなく、原作者として何度もタッグを組んだ小池一夫氏の台詞なのですね。
池上遼一氏はあの水木しげる氏のアシスタントをされていたことでも有名です。(「ゲゲゲの女房」にもちゃんと登場されていました)

野球漫画に夢中になっている頃、本屋さんで立ち読みばかりしているうちにだんだん劇画ものが好きになっていきました。一番初めはながやす巧の「愛と誠」、この、少女漫画の学園モノとは一味違う、パンチの利いた(利きすぎ?)内容と絵柄に強く惹かれました。決して表には出ない、すさんだ裏社会としての学園、当時大流行りだった不良の世界と、ロミオとジュリエットばりの純愛という一見相容れないものの融合。これはとても衝撃的でした。新たな世界の幕開けです。
そしてその後知った池上遼一の「男組」(原作:雁屋哲)の世界にどっぷりハマり込んでしまうのに時間はかかりませんでした。「不良学園モノ」とも一口に言えないこの作品の内容は、アクション、任侠、政治、陰謀、男臭さの極致です。これが少年サンデーで掲載されていとは驚きです。「男とは」「信義とは」「理想の社会とは」といった今ではちょっと恥ずかしいようなテーマを何のケレン味もなく、ぶつけてきます。そして何より作者の見事な筆致、絵柄が大好きになりました。この作品もコミックスにして25巻と長く、絵柄も徐々に変遷してゆきます。最初の頃の大胆で力強い線がだんだん精巧でシャープな感じになってゆきますが、とにかくそのデッサンとリアル感、躍動感が素晴らしく、こんな絵が描きたい、と必死に模写を繰り返していました。主人公の流全次郎はもちろん大好きでしたが、敵役である神竜剛次もまたこれがカッコ良く、決して嫌いにはなれませんでした。(こんな高校生いるの?w)内容にも感化され、社会を憂いて見たり、男の生き様にあこがれたり・・・(笑)思えばこの頃が私の中二病絶頂期だったかもしれません。
それからというもの、とにかく池上遼一の漫画を読み漁りました。青年誌が多いので、ちょっと勇気が要りましたが…最初は「I・餓男ボーイ」だったか、「傷追い人」その後「スパイダーマン」「赤い鳩」「オファード」「フリーマン」・・・衝撃に次ぐ衝撃、まさに大人の階段一気に駆け上りですw とにかく登場人物が脱ぐ、脱ぐ・・・しかもその肉体はギリシャ彫刻よろしく素晴しく美しいのです。まさに芸術です。「サンクチュアリ」(原作:小池一夫)「信長」(原作:工藤かずや)に至って私の中では池上遼一はもう確固たる、不動の位置を占めました。もちろん雁屋哲、武論尊(史村翔)、小池一夫各氏らの原作は非常に秀逸、でもこれらの原作をここまでの世界で見事に描き上げられる池上遼一氏には本当に驚きと賞讃、尊敬しかありません。本当に大好きな漫画(劇画)家であります。

   
「クソッ、イイ男には特徴がないからな…」とはフリーマン(左)で主人公を追う刑事の言葉。氏の描く主人公の男達は男前すぎます。




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水島新司

水島漫画は私にとって特別なものです。
数あるお気に入りの漫画群の中で、特別な位置を占めています。中でも「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」はその名前を聞いた瞬間に、懐かしさと共に今となっては完全に黒歴史と化した私の過去の記憶、青春時代を呼び戻してくれるのです。
私の二次創作の歴史は「ドカベン」から始まりました。あれほど一つの漫画を読みこんだのは初めてでした。野球のルールや用語も全てこの漫画で覚えて、詳しくなりました。お気に入りのキャラやコマを毎日のように模写して見なくても描けるようになり(特にあの絵柄を再現することに熱意を注いでました)、ストーリーを覚え、セリフを覚え、そうしてそれらで遊ぶ、つまり二次創作というものに目覚めたのです!
初めて同人誌を購入し、自分も参加するようになったのも「ドカベン」からです。当時この漫画の同人があったのも今思えば驚きですが…それも一つや二つではなく、レベルもかなりのものでした。ただその頃は現在のようにネットサイトもなく、同人活動も内容も全くわからないまま手紙と郵便小為替を送るとオフセット印刷の同人誌が郵送されてきて、自分もまた原稿を郵送する、という非常にアナログで悠長なやり取りでしたが、家に郵送されてくるのが楽しみで、毎日ワクワク郵便受けを覗きに行ったものでした。周りに熱く語れなくても、周りに理解者がいなくても、ここ(同人)では日本全国の見ず知らずの人と繋がり、同じ思いを語り、ネタに爆笑することができる・・・なんという素晴らしいことでしょう。私の人生で新しい扉が開かれた瞬間でした。
一つの漫画を元に、いろいろなネタが次々と浮かんで、技術もないのになんとかそれを具体化しようと必死でした。CMやドラマのパロ、歌や曲とあわせたイメージイラスト、変なギャグや4コマ漫画、果ては俳句や短歌からクイズ、占いに至るまで・・・誰得な産物のオンパレードです。もう毎日無我夢中です。お蔵入りになったネタも結構あり、今それらを見るともうホント恥ずかしくて笑ってしまいますが・・・
しかしこのようなものでも通じる人がいる、ということが楽しくてたまりませんでした。このおかしなハイテンションなエネルギーは長い時を経て、ジャンルは移り変わっても、ブランクはあっても、私の中で少なくともまだ「やりたいことがある、表現したいものがある」という創作活動の原動力になっていることは確かだと言えます。

「ドカベン」は何と言ってもプロ編に入るまでが好きです。特に明訓高校に入った一年目の夏が大好きです。コミックスでいえば16巻、土佐丸との準決勝は読みすぎて、もうコミックスがボロボロになってしまいました。この頃の、いわば一昔前の高校野球という感じは今の高校野球にはもう感じることができなくなりました。今の高校野球はもっとずっとスマートになりましたね。甲子園球場もすっかり綺麗に変わってしまいました・・・
高校野球一辺倒だった私にプロ野球の魅力を教えてくれたのが、「あぶさん」と「野球狂の詩」でした。「野球狂の詩」は一つ一つのエピソードが珠玉です。義理、人情とプロ根性とは何かということをベタなストーリーで語ってくれます。昭和の香りプンプンです。歌舞伎の女形でありながら、スラッガーであるというトンデモ設定の国立玉一郎が大好きです。これはアニメにもなり(それもちょっと大人向けの、時間帯も確か遅かった)、こちらも原作が結構忠実に再現されていて好きでした。OPやEDの曲も良かったです。今でもたまにyoutubeで見かけて、懐かしくって感動しています。
「あぶさん」は南海ホークスの時代から始まって、これも強烈な昭和の香りに加えてベタベタな大阪の香り、それなのに何故か大人っぽく、そしてこれまたプロ野球とは何たるか、ということを私に教えてくれました。大人(オジサン)のあぶさんは高校球児とはまた違う魅力があふれています。特に未亡人と恋に落ちる「麻衣子」のエピソードはそういう一面を覗かせてくれて、ちょっとドキドキしました。
他にも「一球さん」「男どアホウ甲子園」「球道くん」など、野球漫画といえば水島新司といわれるくらい数多くの野球漫画を描かれていますが、よくもまあこんなに様々な展開を考えられるものです。いやほんとすごいです。本当に、作者の野球への愛があふれています。

水島漫画のおかげで野球の魅力を知り、そして二次創作の魅力を知りました。本当に感謝しても感謝しきれないくらいです。


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